自分が思う「推し活」
最近よく聞く「推し活」という言葉。なんとなくその感覚がわかってきた気がするので、自分が思う「推し活」について書いてみたいと思います。
きっかけは近所の居酒屋
自分には定期的に通っている近所の居酒屋があります。ある日、これも「推し活」と呼べるのではないか?とふと思いました。
たまに夜に飲みに行ったり、ランチ営業もしているので平日の昼に利用したり。ささやかですが、お店にお金を落とすことで貢献しています。
では、なぜ自分はこの居酒屋を“推す”のでしょうか。理由はいくつかあります。
- 店主と店員さんの人柄がとても良い。いつも笑顔で、子どもにも優しく接してくれるのが嬉しい。
- その人柄に惹かれてか、お客さんも穏やかな人が多い。
- とにかく料理がうまい。チェーン店とは一線を画す、心がこもった味。
- 数回通っただけで顔を覚えてくれた。
こういう素敵な場所には、長く続いてほしい。その思いが、自分を「推し活」へと向かわせるのだと思います。
「推し活」とは何か
自分の解釈では、「推し」とは「心から応援したいと思える対象」のこと。そして、その対象に何かしらの形で貢献する活動、それが「推し活」です。
対象はアイドルやキャラクターに限りません。自分にとっての居酒屋のように、人、場所、モノ、サービスなど、人それぞれに「推し」は存在します。
仕事は「推し活」になりえるか
普段、自分は仕事でAndroidアプリを開発しています。では、この仕事は「推し活」と呼べるのでしょうか。
単純に考えると、自分が作っているのはGoogleという大きなプラットフォームの上で動くアプリです。となると、「Googleを推す」ことになるのかもしれません。しかし、対象が大きすぎて、自分の仕事がどう貢献しているのか、いまいち実感が湧きません。それはまるで「地球を推す」と言っているような、途方もない感覚です。
しかし、視点を変えてみると話は違ってきます。
Androidアプリ開発では、たくさんのオープンソースライブラリを使います。これらのライブラリは、世界中の開発者の善意で成り立っており、自分も日々その恩恵を受けています。
「いつもお世話になっているあのライブラリに貢献したい」
そう思って、GitHubのIssueを覗き、自分にも解決できそうな問題がないか探すことがあります。これは、まさに「推し活」です。
対象が大きすぎて実感が湧かないのなら、それを構成する小さな要素に目を向ければいい。Androidプラットフォーム全体を推すのは難しくても、その中で使われている特定の技術やライブラリを推すことはできるのです。
まとめ
自分の活動が、応援したい対象の役に立っている。その実感こそが、「推し活」の醍醐味なのかもしれません。
仕事においても、「自分は何を推しているのか?」を意識してみると、日々のモチベーションが少し変わるような気がします。